デス・オーバチュア
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「そろそろですか?」 コクマは空を見上げながら呟いた。 「はい、あ、右に三歩修正……目視可能まで五秒、四、三、二、一……」 コクマの三歩後ろに影のように控える水色の髪の美女がカウントダウンする。 「来ましたね」 遙か上空から何かが落下してくるのを確認すると、コクマは両手を差し出した。 落ちた来たのは毛布にくるまれた赤ん坊。 赤ん坊は吸い込まれるように、コクマの腕の中に受け止められていた。 落下の衝撃も何もないかのように軽やかにである。 「遙か高空に浮かぶクリアから地上に投げ捨てられたら普通助かりません……ですが、あなたは助かった。これも運命というものでしょう……そうは思いませんか、アトロポス?」 コクマは微笑を浮かべると、従者たる水色の髪の美女に同意を求めた。 「……御意にございます、お館様」 従者は主人に同意する。 例え、彼女の力によって、予め赤ん坊がこの瞬間、この場所に落ちてくることを予測し待ち構えていたとしても、その行為も含めて全てが運命というものだろう。 「さて、では屋敷の中に戻りますか。赤ん坊にはこの高き空の風は冷たすぎますから……」 コクマは踵を返すと、己が居城に戻っていった。 「時の強制力……見えない偶然、確かな必然……時を司るアイオーン姉上や運命を司る私とて、より大きな力の流れに支配される矮小な存在に過ぎない……」 アトロポスは遙かな空の彼方を見上げながら呟く。 時々思うことがある。 自分は運命……未来を視ることができ、それを変えることができるが、そうやって自分が未来を変えること自体、予め定められていた運命であり、最初から決まっていた未来ではないのか? 「……考えても仕方のないことですね。お館様の望む未来を紡ぐ……私はそれだけを考え、実行していればいい」 アトロポスはそう結論づけると、主人の待つ城の中へと入っていた。 「異界より現れし異形……異界竜、その鱗は神柱石で作られた神器を弾き、その牙は神柱石で作られた神衣を容易く噛み砕く……」 コクマは玉座に座り、古い書物を読んでいた。 彼の膝の上には、四、五歳程の幼い少女が乗っている。 「立ち向かうのは、戦いのためだけに創造された特異なる下僕……戦天使……両者の戦いは泥沼化していく……」 幼い少女はわくわくといった表情でコクマの話を聞いていた。 「殆どの神々が異界竜の牙で喰い殺され……最後に残った神は……最強にして最悪の存在を生み出す……光と闇の力、火、水、風、地の四大精霊の力、聖なる神の力、禍々しい魔性の力、純粋なる破壊の力、そして敵である異界竜の竜の力を併せ持つ完全にして万能なる存在……その名を竜戦天……」 「子供になんて話聞かせている!」 コクマの語りを突然の女の声が遮る。 金色の長い髪、白い上着に、赤い袴、少しきつい雰囲気の少女がコクマ達の前にどっしりと立ちはだかっていた。 「ただのお伽噺ですよ。原初の神話、最古の歴史資料とも言いますけどね」 コクマは書物を閉じる。 「エアリス〜」 幼い少女はコクマの膝の上から降りると、東方大陸の巫女装束を着こなした金色のストレートロングの少女の足下に抱きついた。 エアリスと呼ばれた巫女装束の少女はしゃがみ込むと、幼い少女を抱きかかえる。 「何にしろ、そんな殺伐とした話を聞かせるな。この子の情操教育に悪いだろうがっ!」 エアリスは幼い少女をあやしながら、コクマに牙をむくような形相で叱りつけた。 「ああ、そう言えば、異界竜はあなた達、竜族の祖とする説もありましたね。あまり聞いていて気持ちのよい話ではありませんでしたか?」 「む〜、異界竜をモデルに神が竜を創ったとか、竜は異界竜の末裔だとか、そんな真偽の解らない大昔のことなんてどうでもいい。竜は竜! 私達、竜族は地上に生きる生物の最高位、万物の真なる霊長だ!」 「さて、それはどうですかね? 霊長とは基本的に人間のことを指すという説が一般的ですよ」 「何を言ってる! もっとも優れた……もっとも進化した生物は私達に決まってるではないか! 身体能力も知恵も人間なぞとは比べものにならない程優れているし、寿命だって何万倍も長い……それからそれから……」 エアリスは竜がいかに人間より優れているかを力説する。 「確かに、もっとも強い生物は間違いなくあなた達でしょうね。ですが、知恵……狡猾さでは人間の方が遙かに上でしょうし、繁栄という意味ではあなた達は個体数が異常に少なく、生殖能力も最悪……緩やかに滅び行く種ではないのですか?」 「ぐっ……嫌なところばかりつきおって……」 「究極生命体という意味であなた達はそれにもっとも近い。しかし、個が優れすぎてしまったが故に、生物としての繁栄は斜陽を迎えている……皮肉な話ですね」 コクマは別に嫌みのつもりもなく、ただの事実として淡々と述べた。 「…………ホント、嫌な奴だな、お前は……」 「よく言われますよ」 憎たらしそうに睨み付けるエアリスの眼差しを、コクマは涼しい表情で無視する。 「……父様、エアリス、喧嘩〜?」 「あ、別にそんなことないぞ。さあ、タナトス、向こうで一緒に遊ぼう〜。この男はろくなこと教えないからな」 「うっ? 私、父様のお話好きだよ〜」 少女……タナトスは子供らしい無邪気な笑顔で言った。 「ほら、危ないからそんな物を持ち歩くのはやめなさいよ」 黄色のウェーブがかかった長髪の女は、タナトスから彼女の幼く小さな体には不似合いな漆黒の大鎌を取り上げようとした。 「やああ〜〜っ!」 タナトスは全身で大鎌を抱きしめ、必死に抵抗する。 「別に誰も奪ったりしないからそんな物。ただ危ないから、普段は部屋にでも飾っておきなさいって言ってるのよ」 「いやいやいやあっ! これ私のだもん! 父様がくれた大切なものなんだもん! だからいつも一緒なのっ!」 タナトスは一気にそう捲し立てたかと思うと、大声で泣き出した。 「うっ、解った解った、もう好きにしなさい」 女がお手上げといった感じで、許可の言葉を口にすると、タナトスはピタリと泣きやむ。 「ありがとう。だから、ディス、大好き〜」 タナトスは大鎌が重いのか、危なっかしい足取りで駈けだした。 ブンブンと大鎌を振り回しながら走っていく。 「ああ、だから危ないって言ってるでしょう! 大鎌を振り回してるんじゃなくて、大鎌に振り回されてるじゃない!? ああ、倒れる!?」 大鎌を振り回して遊んでいるタナトスの姿はとても危なっかしくて、ディスにはとても黙って見てはいられなかった。 急いでタナトスの側へと駈け寄っていく。 「そもそも、子供にあんな物騒な物をプレゼントする、あの男が一番悪いのよ!」 ディスの口に出した文句は、これ以上ないほど正論だった。 「はい、そこでターンです」 アトロポスの手拍子に合わせて、コクマとタナトスは優雅に踊る。 「タナトス様、もっと素早く華麗に……お館様はもっとタナトス様が踊りやすいように合わせてさしあげてください。はい、もう一度最初からやりなおしてください」 アトロポスはかなりの鬼コーチだった。 コクマは魔術魔法から、太古の英知や歴史といった雑多な『知識』を。 エアリスは体術を基本としたあらゆる『戦術』を。 ディスは水晶占いを初めとした様々な『呪い』を。 アトロポスは常識や礼儀といった『作法』を……教えてくれた。 その結果、タナトスは六歳にして、魔導師並の知識と、常人離れした戦闘能力、占い師として食べていける技能、上流階級で通用する気品と威厳と嗜みをマスターしていた。 「ディス、本当に行っちゃうの?」 ディスことディスティーニ・スクルズが城から去っていったのは、タナトスがあらゆる『習い事』をマスターし終え、七歳の誕生日を目前に控えた頃だった。 「まあね。本当は七年前からぼちぼちここを出るつもりでいたんだけど、貴方の相手をしてたせいで七年も遅れちゃったわ」 ディスは苦笑を浮かべて軽い調子でそう答える。 「……どうして、ここを出ていくの? 父様のことを嫌いになったの?」 「嫌いになったわけじゃないけど、まあ、飽きたってのはあるかもね。あなたが生まれるずっと昔、西方大陸でコクマに出会って、なんとなく成り行きでついて来ちゃって……今までこうして一緒に暮らしてきたけど……正直、あたしはあんまりコクマにとって必要ない存在なのよ」 「必要ない?」 「アトロポスは従者、エアリスはペット、じゃあ、あたしは何? お抱えの占い師で愛人? アトロポスみたいな本物の運命の女神に居られちゃ、たかが水晶玉で未来を覗き見るぐらいしか能のない超一流の占い師なんて必要ないのよね」 「ふぇ……?」 己を卑下しているのか、誇っているのかよく解らない発言だった。 「アトロポスは元々は超古代神族の運命の女神。たいてい今時の女神様は過去、現在、未来を三人で分担してるんだけど……アトロポスの場合、一人で過去も現在も未来も全て司っている化け物なのよ」 「……よく解らない」 「全ての過去を知り、現在の全てを感じ、未来の全てを見通す……遍在する女神、全ての時間の全ての場所に存在する絶対存在……占い師としても神族としてもあたしなんて足下にも及ばないわよ……勝負するのも馬鹿らしい……全ての運命を司る女神の祖とでもいう存在……」 「つまり、アトロポスはディスのご先祖様なの?」 「ん……物凄く的外れなことをいきなり言ったようで実は結構真をついた発言ね……」 「当たった?」 「血縁的な先祖じゃない。だってアトロポスはこの世界より年寄りなくせに、子供を作ったことなんて一度もないからね。ただ、あらゆる宗教、あらゆる地方の運命の女神にとって共通するモデルであり……まあ、先輩みたいなものね。もっとも古い神族の運命の女神……この世で最初に生まれた運命を司る女神ってところか。原初、起源、とにかく年増の中の年増……」 「誰が年増ですか?」 突然沸いた声。 ディスが背中に寒気を感じたかのように仰け反った。 「……い、居たの、アトロポス?」 「私は第二期の神剣、九姉妹の七番目……上に六人も姉が居ます」 「はい?」 アトロポスは突然そんなことを言い出す。 「……えっと、アトロポスは姉様がいっぱい居るから、比べると若いの」 アトロポスの発言の真意が理解できなかったディスに、なぜか理解できたタナトスが補足説明した。 「ああ、そういう意味なのね。でも、十神剣自体全てが古いじゃない。だって、十神剣って元を正せば超古代神族の……う、なんでもない! もう余計なこと言わない! だから、その殺気だけで人を殺せるような『眼差し』はやめて!」 「フフフッ、おかしなことを言いますね。眼差しも何も私は目を閉じているのですよ」 アトロポスは口元にシニカル……皮肉げで冷笑的な笑みを浮かべる。 そして、アトロポスの声質、身に纏う雰囲気はいつも以上に冷たかった。 「もっとも殺気だけで貴方を殺すこともできなくはありませんが……やって欲しいのですか?」 「やめてやめて! ああ、もう悪かった悪かったから! じゃあね、タナトス、またいつかどこかで縁が繋がったのなら出会いましょう〜」 ディスはアトロポスから逃げるように後退ると、タナトスに早口で別れを告げる。 「あなたなら、あたしやアトロポスと違って本物の良い占い師になれるわ」 それを最後の言葉に、ディスの姿はその場から掻き消えた。 「本物の良い占い師さん?」 どういう意味なのか訪ねようにもディスの姿はすでにない。 「そのままの意味ですね。私やディスティーニのように未来を視る特異能力を持つ者は、占い師というよりも運命の女神と名乗った方が正しい。占いという技術で未来を知るのではなく、生まれ持った能力で視ているだけですから……その点、貴方はそんな特殊能力は一切持っていない。ディスに習った『占い』の技術と知識で占う……無論、私達の能力と違って外れることも多い……けれど、だからこそ、貴方のは『占い』であり、貴方は『占い師』になれます」 絶対に外れない予測は占いではない、それは運命を支配する力だ。 ゆえに、アトロポスは運命を司る女神ではあるが、占い師ではない。 「ん〜、占いは私好きだよ。でも、将来なりたいものは違うの〜」 「……では、何になりたいのですか?」 「父様のお嫁さん!」 タナトスは力強くそう言った。 「人の住まぬ城というのはどうしてこうも寒々しいのか?」 金色の髪と瞳を持つ、どこか猛々しい雰囲気の巫女が、人気の無い城内に姿を現す。 ここは永遠に天空を彷徨い続ける孤独の城。 城の主である男が、とある組織に入り浸るようになって以来、ここに住む者は誰もいなくなった。 「まあ、もっとも人が居た時だって五人しか住んでなかったのだがな。それでもあの頃は賑やかだった……あの子が居たから……」 黒髪黒目の小さな女の子。 子供が一人居ると居ないとでは雰囲気はガラリと変わるものだ。 「……で、極東で穏やかに暮らしてた私を呼びだしたのは何用だ、コクマ?」 金髪巫女……エアリスは部屋の奥の玉座に鋭い眼差しを向ける。 空席だったはずの玉座に、黒と銀を基本とした王族のような豪奢な衣装を着こなした、漆黒の長髪と瞳の男が座っていた。 「あ、その姿の時はルヴィーラ皇帝陛下って言うべきだったか?」 エアリスは意地の悪い笑みを浮かべて言う。 「フッ、そう噛みつかないでくださいよ、エアリス。昔通り、気安く御主人様でいいですよ」 玉座の皇……コクマはエアリス以上に意地の悪い笑みを浮かべて玉座から立ち上がった。 「誰が呼ぶかっ! いつそんな風に呼んだっ!?」 エアリスは今にもコクマに噛みつかんばかりに牙をむいて怒鳴る。 「あなたを拾った直後はそう言って懐いてくれたじゃないですか?」 「があぁっ! いつの大昔だ、それはっ!?」 「空き箱に入っていた捨てドラゴンを私が拾った頃ですかね?」 「だあああぁっ! 他人の過去を捏造するなっ! そんな出会いじゃなかったはずだっ!」 エアリスは一瞬で間合いを詰めると、コクマの衣装の襟を乱暴に掴んだ。 「似たようものでしょう? あなたが私が拾って育てた愛玩動物(ペット)のドラゴンである事実は変わらないのですから」 凄まじい力で襟を捻り上げられても、コクマの余裕は欠片も揺るがない。 「……たく、全然変わってない。いいや、寧ろ、嫌な奴具合が増した……こんな奴が私の主人かと思うと泣けてくる……」 エアリスは諦めたような表情で嘆息すると、襟から手を離した。 「……で、何の用だ? わざわざ極東から呼び出すなんてつまらない用だったら……喰い殺すぞ」 エアリスの牙のような犬歯が光る。 犬歯というより竜歯? 素直に牙と呼んだ方が良い程、その歯は鋭利に輝いていた。 「そういえば何で極東なんかに行ってたんですか? ここで大人しく番犬……番竜してなさいって言ったのに」 「犬じゃあるまいし、こんな誰もいない寂しい城でいつ帰ってくるともしれない主人を待てられるわけがあるまいっ!」 「なるほど、つまり竜は犬以下の忠誠心しかないんですね?」 「がああぁぁっ!?」 「主の留守の家を守るのがペットの役目でしょうに……役に立たない人……いえ、竜ですね」 「があぁぁ……」 あんまりの言いようである。 いっそ本当に喰い殺してやろうか、とエアリスは思った。 無論、そんなことは、どれだけしたくても、あらゆる意味でできないのだが……。 主人であり、親とも呼べる存在、恩ある者に牙を向ける……そんな不義理で恩知らずなことができるように竜という生物の性はできていなかった。 人間とは違うのである。 どれだけ相手が嫌な奴であろうと、義理や恩を無視することは絶対にできない……竜とは欲望のままに自分のことだけを優先して生きる人間と違って、とてもストイックな生物だった。 「……で、私を呼び戻した理由は……何でしょうか、御主人様……?」 自棄になったかのような卑屈なセリフでエアリスは尋ねる。 自分が感情を露わにして噛みつけば噛みつく程、この男は楽しげに嫌みを言うのだ。 長いつきあいでそれが解っている(解っているのに、よく忘れる)エアリスは、とにかくさっさと用件をコクマに言わせることにする。 「ええ、今日で全てが終わるので、後始末を手伝って欲しいんですよ」 「終わり?……それは、アトロポスの予知か?」 コクマの言葉には主語が抜けていたが、何のことを言っているのかエアリスには解った。 「いえ、どんな未来(結果)、展開になったとしても終わらせるという意味です」 「……なるほどな……」 エアリスは全てを察したかのように、納得した表情を浮かべる。 「では、細かい連絡は後でしますので、あなたは城のメンテをしながら待機しててください」 そう言うと、コクマはエアリスの返事も待たずに歩き出した。 返事は聞くまでもない、あるいはエアリスには拒否権は存在しないと言わんばかりの態度である。 「……そういうことなら手伝ってやってもいい。て、もう居ない……」 コクマの姿はすでに消えていた。 エアリスは窓の前まで移動すると、そのまま窓にもたれかかる。 「宵闇か……最後の夜の始まりだな」 赤い夕暮れの空が、闇の月夜に変わりつつあった。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |